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お知らせ

2025.06.11

校長ブログ

下校の時間になった。
多くの子はバスに乗る。そんな流れに逆行して校舎へ戻る1年生がいた。
大きな木の根元に向かった。
そこにはコップが6個ほど置かれていて、「エナジードリンク」「コーラ」「ジュース」、、様々だ。
アリなどの小さな虫が集まっている。
「僕はコーラなんだ」ほとんど虫はいない。
他の飲料水には結構集まっていた。
ちょっと不満そうだ。
確認するとまた走って下校の波に混じり帰っていった。
青葉台初等学部には「ファミリア」という時間がある。
その子が走っていったのは「ファミリア」で教師から提案された実験から始まっている。
また「チョイス」の時間は,「サイエンス教室」と「ボードゲーム」の2種類から授業を選べる。
サイエンス教室では,クエン酸と重曹と洗剤を混ぜると何が起きるかの実験もあった。
一瞬にして、小さな爆発のように白い泡がモクモクと出来、子ども達は目を見張り歓声を上げていた。
青葉台初等学部の子ども達は学校が楽しいと言う。
それに引き換え私は、何回もさせられた整列や行進が運動会の暗い思い出となっている。自分の子ども時代とは大違いだ。
当校で大事にしている「主体性」
教師のこうした地道な取り組みがやがて実を結んでいく。
2025.05.01

校長ブログ

この学校でしか経験できないことがある。「ファミリア」だ。

異年齢のミニ集団で、 “衣食住”のテーマから一つ自分で選ぶ。

昨日のファミリアは2回目。役割分担を決め内容に入っていた。

 

高学年の子が低学年の子に寄り添っている。1年生が6年生のパソコン画面を一緒にのぞいている。

どんな気持ちでいるのだろうか?と思うが、年長者への憧れを抱いているに違いない。

1年生から見たら5,6年生は大きく、想像もつかない世界の住人ではないか、とその頃の自分を振り返って想う。

 

5年先の時代が読めないと言われている「今」

 

どんな時代を生きていくにしても、子ども達には安心して大人になってほしい。

それには「今」を丁寧に生きることではないか。

例えば、忙しいとは“心を亡くす”と書くが、忙しさに振り回されて、スケジュールを消化することに追われる子どもであったら残念だ。大人には往々にしてあるが、小学生時代の子ども達には味あわせたくない。

 

しかし、青葉台初等学部にいると、時間の流れが穏やかだ。

「今」を心を伴わせて生きれば、経験がしっかりとその子に積まれ、自信となってその子を支えるだろう。

自尊感情で『非認知能力』の一つだ。

 

日本人が他国と比べとても低いと言われている自尊感情とは、自分自身を価値あるものとして尊重する、自己肯定的な評価をしている状態だ。

こういった力は一朝一夕には獲得できない。

乳幼児期から育っている力だが、具体的に実行する力を持つ小学生時代にこそ、獲得させたい力だ。

 

ヒトは真似て育つ。

真似たい!と思う年上の子がいる、それが青葉台初等学部だ。

 

(エピソード)

1年生のそばで6年生が、点線でマス目を書いてあげていた。何だろう、、、と私は見ていた。ファミリア活動の企画書を作るのだが1年生にとって書き直すのは大変だ。消しゴムで消した跡がまだ残っている。6年生はその子のために点線でマス目をつくっていた。

 

青葉台初等学部綱領に、

『学問から得た知識は世界平和のために真に隣人の幸せのために尽くす』

という大理想があるが、隣人との距離、、それが青葉台初等学部では温かく近いのが嬉しい。

 

2025.04.10

(校長ブログ)新学期が始まりました

始業式と入学式が行われ、これで全児童がそろった。
子ども達は元気で楽しそうだ。
これからの5年先、10年先が予想出来づらい今、何が重要なのか。
それは子ども達と一緒に生活をしている方々の共通の思いだろう。
始業日や入学式で、私が子ども達に伝えたことは、
自分の学び(知識)は、自分自身のものとする以外に、広く他のために使っていく、そんな心を持ってほしいということだ。
そのもとになるのは、青葉台初等中等学部の綱領の一文による。
「学問から得た知識は 世界平和のために 真に人類の幸せのために 尽くすことを誓います」
当学園の創設者、塚原港の思いだ。
スケールの大きな思いが、子ども達を大きく育てるのだと思う。
私も子ども時代にそんな思いを大人に掛けてもらったら、何か違ったかもしれない。
私は昭和一桁世代の両親から生まれた。
大人になって、畳を歩くときはへりを踏まないのが昔の常識だったと知ったとき、教えられていない自分は、親が知らなかったのかと思ったがそうではなかった。
知っていて教えなかったのだ。
戦前戦後と価値観が変わった時代を生きた両親だが、それほど価値観は変わったのだと理解した。
教える側にいないと思ったのか、私の親は子どもには多くのことを教えなかった。
だから、このように、自分のもの(力とか思いとか)を自分でかかえ込むだけでなく、他に振り向けていくという発想に大人になってから触れた私は、深く感動した。
私が子ども時代に持てなかった思いではあるが、目の前の子ども達はこれからを生きるのだ。
無限の可能性の中で、自分の力を他の為に惜しみなく使っていくことを身につけていくだろう。
それは、子ども達にとって幸せに生きる大きな要因にもなっていくだろう。
自分を大事にすることはもちろん、他を大事にする心があれば、その人は幸せになると私は思う。
幸せの切符を手に入れたも同然だ。
2025.04.04

校長ブログ

今日は始業式。
他の小学校より早く新年度を迎える。
それが青葉台の伝統だ。
始業式での担任の発表に、子ども達がワクワクドキドキして楽しみにしているのが伝わってくる。
私も新任校長として話をした。
好奇心は学びの原動力であるから、好奇心をたくさん持ってほしいことを、今朝辺り中に立ち込めた「もや」を引き合いに出しながらお話をした。
各クラスを参観したが、低学年のクラスから退出する際に木箱にぶつかり転んだ!
ちょっと情けない。
すると2人の子が「僕が片づけます」と言って木箱を倉庫へもっていってくれた。
この社会性。
思いやりと機転に富んだ子どもの姿に感動した。
育ちは継続が生きる。
そのように今まで導かれてきた子ども達なのだろう。
低学年の子とは時々一緒に遊ぼうと思う。
生徒に聞くと「ドッジボール」「鬼ごっこ」、、、色々出て来た。
もし全学年が一緒に遊ぶのなら、待ち遠しくなるような内容にしよう。
今から頭を悩ませている。それがまた楽しい!